2021-06-30 20周年を迎えるF.F10ですが、今も愛される作品は現状と酷似しているからではないでしょうか? この地図はF.F10(FINAL FANTASY X)から抜粋しました。 20周年迎えるF.F10ですが、世界観は今の現状に酷似してませんか? 世界中で蔓延しているコロナの渦を10の世界観で置き換えます。 シンが生まれたことにより、スピラ(スパイラル→螺旋)で1000年死の螺旋が出来上がるのが、FINAL FANTASY10の世界観です。 死の螺旋と比喩されるスピラこそが希望の螺旋なのですが、これはベベルとユウナレスカが描いた構図になります。 では行きますF.F10 1000年前に召喚士を戦力としたザナルカンドに統治者エボンが居ました。 後にザナルカンドは廃墟となりますが、機械兵器を用いるベベルと戦争になり、ベベルが勝ちます。 シンとはザナルカンドの召喚を始めたエボンが、その状態を維持出来る様に自身の体に幻光虫をまとっている状態です。 シンの中に人(エボン)が居て、その後エボンジュとなります。 「人々の罪が消えれば何時かシンは復活しなくなる。」 その教えを信じて召喚士はシンがいない世界(永遠のナギ節)を夢見ます。 これがエボン教の教えですが、罪とすり替えベベルは自分達の責任でシンが生まれた事実を隠し、後にエボンやシンの存在を巧みに利用した政治を行うようになります。 祈り子とは、肉体から魂を切り離し像に入れて眠らせた代物であり、像の中で平和だった頃のザナルカンドの夢を見ます。 (想いの結晶) そして夢だけでは具体的な形にならず、具現化しなくてはならない。 具現化する為に召喚しなくてはならない。 召喚士とは幻光虫に干渉する能力を持つ者であり、死者を幻光虫へと分解し、幻光虫を集め実体化することも可能である者。 即ち召喚とは、祈り子達が見ている夢を元に幻光虫を集め実体化した形が召喚になる。 祈り子全員はガガゼト山に封印されていて、祈りの歌を唄っている。 祈り子全員夢を見て、エボンが召喚し自分の体に幻光虫をまとったのがシンで、機械兵器を攻撃するようになります。 祈りの歌は後にスピラ中で歌われるようになり、エボン寺院の聖歌(ザナルカンドの歌)となります。 ・祈りの歌 イエユイ ハサ マエ→ ノボメノ テカ→ レンミリ ナエ→ ヨジュヨゴ クタ→ (祈れよ エボンジュ 夢見よ 祈り子 果てなく 栄えたまえ) シンが生まれて猛威を震う中、エボンの娘ユウナレスカと夫のゼイオンが究極召喚を生み出しシンを倒すことに成功します。 ゼイオンは祈り子となり、ユウナレスカは命を落とし死人となってしまいます。 ユウナレスカは死人となりましたが、束の間のナギ節(救済)を人々に与えます。 新たなるシンが生まれるまでの準備期間がナギ節です。 倒したはずのシンが復活し、世界中で暴れます。 何故シンを倒せなかったのか? エボンをまとった幻光虫の塊が消えたのみで、エボンは究極召喚獣を元に乗り移り、新たなるシンとなります。 究極召喚獣がエボンに乗っ取りされると、召喚士は死に究極召喚とは召喚獣になることです。 新たなるシンは、夫ゼイオンの体に父エボンが入っている状態を差します。 娘ユウナレスカは死に、死人になりました。 シンは消滅させることが出来ない。 シンの恐怖から束の間だとしても、人々を一時的に救えるのなら… ユウナレスカは死人となりましたが、究極召喚を与え続けます。 又シンの中にいる父が、永遠に夢のザナルカンドを召喚出来るようにまやかしの方法で人々を導きます。 ユウナレスカとベベルはシンを倒します。 そしてシンは復活します。 ベベルはこの構図を利用します。 自分達の責任でシンという怪物が生まれた事実を隠し、エボンやシンの存在を巧みに利用した政治を行うようになります。 エボンの怒りを鎮める方法とし、エボンの教えを普及させてエボン教はエボン寺院ベベルで誕生します。 善も悪も無いエボン=ジュとなった存在のシンの中身を罪とし、全く関係ない罪の全ての責任を人々に転換することで人々に罰を与えました。 ベベルとの戦争で生まれたシンを隠蔽することで、事実をねじ曲げます。 エボン寺院はユウナレスカと夫ゼイオンを祀り、エボン教は絶大な影響力を増大させていきます。 エボン寺院が増大していくと、機械を扱うアルベト族が迫害されていきます。 人々の罪がまだ消えていないとすり替えていきます。 迫害されて行くアルベト族は、召喚士を拉致し監禁するようになります。 究極召喚で召喚士を死なせない為であり、又シンに対抗出来る唯一の武器は機械だと見抜いています。 エボンは祈りの歌を禁止しましたが、好んでアルベト族に歌われます。 アルベト族に歌われるのが面白くないエボンは、祈りの歌をエボン教の教えに入れます。 死者の魂を鎮める歌として広めていきます。 これが人々に浸透しました。 だが、この祈りの歌はシンを否定するのではなく、全肯定する歌です。 地上から消えたザナルカンドは、歌の中だけに残ります。 構図が出来たらルールという骨組みが必要です。 ベベルはシンという絶望から人々を救済する救世主という役割を召喚士に与えます。 召喚士はオリエンテーリングで各地を周り、修行しながら聖地ザナルカンドを目指すという骨組みが出来上がります。 出来た骨組みに肉付けとして、ユウナレスカ(死人)により究極召喚を与えられます。 シンを倒すという救済のルールが出来上がり、ベベルとユウナレスカによる1000年続く死の螺旋が出来上がります。 召喚士はルールに従い人々を救うようになります。 ベベルは絶大な地位を手にし、人々はスピラの生活の中ではこのカラクリを見抜けなくなっていきます。 偽りだとしてもユウナレスカとベベルは、人々に救済をもたらしました。 … ユウナ達一向は別ルートに行きます。 ガード1人を祈り子にして、究極召喚獣を創る道から外れます。 ユウナレスカは考える時間をちゃんと与え、強制的ではなく… 「信じていたから、自ら死んで行けたのですよ?」 … 「希望は慰め 悲しい定めも諦めて受け入れるだけの力となる」 … ユウナレスカは、人々の希望の光を消さない為に、究極召喚を授けている。 ユウナは希望の光をまやかしだと否定します。 主人公ティーダがいたからこそ、スピラの住人ではないティーダがいたからこそ永遠のナギ節を手に入れることが出来たユウナ一向だと思います。 何となく似てませんか? 今のこの現状… コロナという死の螺旋 ワクチンという希望の救済 (ワクチンは特効薬ではなく、重症にならない為の免疫) そこに絡む利権 なんてな!? 10好きな作品なので、書きたかっただけです (笑) 20周年おめでとうございます♪ ってかスクエニさん… 10―3出してくれ〜